Johnny's Story

初めまして、じょにい。です☆

こんなところまで見てくださり、ありがとうございます。

僕はまだ30代なんですが、会社には勤めていません。

でもとても幸せな時間を過ごせていると感じています。

ここに辿りつくまでには、決まったレールの上を走っているわけではありませんでした。

プロローグ

僕は現在、難病にかかってしまって、歩くのもフラフラ…喋ってもロレツが上手く回らない状態です。

そんな僕が今もヒトとして生きていられるのは、ネットビジネスとの出会いがあったからだと確信しています。

最初は副業として始めましたが、覚悟を決めて始めてからは、昼まで寝ていても生活できるようになりました。

僕がここまで辿り着くには、人生の節々で沸き起こる思考が生まれてきてそれを実行できているからだと思います。

初めの学び

僕は自分の本当の父親の顔を知りません。

ですが、子供達(3人兄妹)のことを幸せになってほしいと想ってくれる母のおかげで伸び伸びと成長してきました。

しかし義父が厳しい人で(昭和の頑固オヤジ的な)小学高4年生まで暮らしてきた平和な生活が一変して、自由な時間も無くなってしまいました。

僕は8年間耐えました…その結果、地元が北海道なんですが東京への大学進学が決まり一人暮らしを始めてから・・・

『自由に生きる喜び』

を知ることができました。

自由な時間を自分のために使えるってこんなに幸せなことなのかと実感できました。

年功序列の世界

大学に進学して、就職をするというある意味普通の流れに乗った僕は、一般企業の中で社会のマナーやルールというものを学びました。

  • 年上の者を敬え
  • 年上の者をマネろ
  • 年上の者から盗め

「年上の者から…」というのが入社してから多く学んだことでした。

年功序列の世界をまざまざと見せつけられる毎日に…

僕の居場所はココじゃない!

と強く思ったのを鮮明に覚えています。

しかし僕は簡単には引き下がれない性格なので、せっかく就職したんだから何か一つは大きなものを学びたいなと考えていました。

そしてあっという間に入社して3年目に突入していました。

営業職として就職した僕は地道にコツコツと仕事をこなせるようになっていました。

4年目に入ろうかとした時積み上げてきたものがたまたま爆発して、それがそのまま売上になって僕の元には「歩合報酬」なるものが思った以上に入ってきました。

ここで新たな気づきを得ました・・・

『続けることの大切さ』

『成果報酬の喜び』

です。

やったらやった分だけ返ってくる実感を得た瞬間でした。

チヤホヤされ始めていた僕は、このままこの会社にいてもぬるま湯につかってしまってしまうだろう…とタカをくくり次のレベルアップを目指して会社を辞めました。

そして新たな自由を求めて新天地「福岡」に飛びました。

北から南へ

マンガかドラマでしかないような話ですが、福岡には何も準備せずにボストンバッグ一つで行きました(笑)

最初は仕事探しと家探しから始まりました。

僕が初めに訪れた場所…それは中洲です。

ここでは話がズレてしまうので詳しい説明は省きますが、簡単に説明すると三大飲み屋街の一つです。

つまり福岡といえば夜の街で有名なところなんですが、夜の街にチャンスが転がってるという直感でした。

就職を求めて行ったので昼13時くらいでしたが、人が全然いませんでしたね(笑)

さすが夜の街!と関心していると、一人のコワモテのお兄さんが、「お兄さん、暇そうやね。良い店あるんやけど寄っていかん?」と声をかけてきました。

普通に断ればいいとわかっていながら、なぜか人って焦ると口数が多くなるのか、僕は自分の事情を話し始めました。

東京から挑戦することを試みようと新規一転この地に足を踏み入れた話から、家がないこと、仕事を探してること、まで一連の流れ全てです。

そうするとコワモテのお兄さんが「若いのに勇気あるな…気に入った!」と中洲で働き口を一緒に探してくれました。

フタを開けてみると年も一つだけ上の老け顔のお兄さんだったんですけどね(笑)

家も「俺のとこやったらある程度の期間やったら一緒に住んでもいいよ」と言ってくれました。

まさに「神」到来です。

福岡で最初に知り合った人が、恩人になるなんて福岡という土地に奇跡を感じました。

僕は同時に、神様っているんだなとつくづく思いました。

『一つ一つの出会い』

を大切にするようになりました。

そして福岡での戦いが始まります。

光と影

浅はかですが「自分の店を持つ」という目標を持って新天地では、BARで働く道を選びました。

そのお店で憧れの人と出会います。

お店で働く先輩でお店のスタッフからはもちろん、お客様にも絶大の信頼があってバーテンダーとして一流の人でした。

その人は光り輝いて見えて、この人についていこうと心に決めました。

そして僕が入店して1年半後に、新しいお店を出すと先輩は辞めることになったのです。

僕は影で「僕も連れてってください!」と頭を下げました。

しかしそれは簡単ではないことを知っていました。

夜の世界ではお店を移ったり、スタッフを引き抜いたりすることは承諾なしにはご法度なんです。

それでも先輩は僕を新しいお店の店長として引っ張ってくれました。

そして「自分のお店だと思って頑張れ!」と励ましの言葉をもらってさらにヤル気が出ました。

でもそれが励ましの言葉ではなくて裏切りの第一歩になるなんて思いもしませんでした…。

僕は一生懸命働いて、バーテンダーのしての知識をつけること、そして接客や集客に励みました。

その結果、店舗を出す融資額700万をわずか11ヶ月で返済しました。

しかしその時すでに当時のような光り輝く先輩の姿はなく、ブラック企業の経営者として君臨していました。

なんだか利用されたみたいで少し虚しい気持ちになってしまいました。

そして、ついに裏切りの時はきました。

「お前、クビね」

この言葉は忘れもしません。

ただ利用されただけだったことに、この時ようやく気づきました。

店を追い出されて路頭に迷った僕は、「見てろよ!」と見返してやることを胸にこの地を離れることを決心します。

『人を見る目』

について考えながら、福岡という土地に見切りをつけました。

人に頼ること

東京に戻った僕に残されたスキルはバーテンダーとして、そして飲食店を運営する知識が少しあるくらいだったので、夜の街歌舞伎町でBARに再就職しました。

ここまで割と一匹狼でやってきた僕は人に頼ることを忘れていました。

しかしさすがは大都会東京でというだけあって一人では情報が薄くなってしまい出遅れることが多くなっていました。

当時の社長はそんな僕を見かねて僕に人を紹介するようになりました。

最初は…

「社長は人付き合いをしたくないのかな?」
「何でこんなに面倒くさいこと僕になすりつけるんだろ?」

と的外れな考えを思い浮かべるることくらいしかできませんでした。

しかし、ある時社長は「必ず人脈が助けになる力になる!」と言い放ちます。

その時は鵜呑みにして聞いていたのですが、社長が紹介してくれた人達は時を重ね、相談にのってくれる良き友人となり、また人生の先輩や僕のサポートをしてくれる後輩となっていきました。

今では本当に感謝していますが、僕は東京の地で人は一人では生きていけないという『仲間の大切さ』を学ぶことができました。

始まりの地へ

東京で働くことに慣れてきていた僕に新たな誘いが舞い込んできます。

「北海道に帰ってこないか?」

と両親に言われます。

仕事もある…と大手保険会社の社長と話はついている様子でした。

その時30歳になる直前の僕は悩みました…このまま夜の商売を続けていくのか?というのが一番の考えでした。

自分の人生の中で幸せと思いたい!

楽しいのは今だけで本当の幸せここではないのでは?

という葛藤の中で、始まりの地である北海道で今まで培ってきたきたものを発揮できればと考え地元での再出発をすることにしました。

絶望の中で見つけた希望

北海道では順調に生活を始めることができて満足していました。

営業職として働いていた僕は歩くことは昔から好きだったので苦じゃありませんでした。

しかしある時から急にフラフラしだして真っ直ぐ歩けないようになっていました。

病院に行くとすぐに2週間の検査入院が決まりました。

結果は難病でそのうち歩けなくなったり日常生活に支障が出てくるとのことでした。

普通の平凡な毎日に幸せを感じるだろうと期待していた僕は絶望しました。

何もする気にならずに、唯一やったことと言えば「本当に病気なのか?」と調べることくらいです。

しかしそんなことで悩んでもいられないのは自分でわかっていました…まだ身体が動くうちはやれることをやろうと思いました。

まずその時の彼女に別れを伝えないと思い、病気のことを伝えて同時に別れを切り出すと、彼女は「一緒に歩いていく」と言ったのです。

僕にはその言葉の響きが胸に突き刺さりました。

一緒に歩いていく為のことしようと心に・・・

『守り抜くこと』

を決意して結婚します。

自由人との出会い

『守り抜くこと』を決意したからといって、僕には貯金もたいしてないし、仕事もこの先どうなるかわからない。

僕には近い将来身体が動かなくなるという病気だけ持っていました。

そして何か探さないと、何かやれることを、と必死になって情報を集めました。

そこで関西に住む友達が、ブックオフで本を買ってインターネットを使って売るという手法で生活をしていることを知ります…せどり・転売と言われる手法です。

ネットビジネスとの出会いでした。

僕も簡単そうだからやってみようと試みましたが全然上手くいかず、結局関西に住む友人にやっていることを教わりました。

言われた通りやってみると、失敗を繰り返していた時が嘘みたいに売れていきました。

10万円の売り上げをあっという間に達成できたことを声に出して喜んだのは記憶に新しいです。

しかしそのやり方では僕の身体にとっては不完全でした。

「仕入れ=ブックオフ」とこの時点で外出しなければいけなかったのです。

なんとかPCを使ってインターネットだけで完結…生活できる術を身につけなくては…と日々模索していました。

調べれば調べるほどネットビジネスで年収1億以上とかよくわからない数字を見かけます。

1日15分で100万とか、クリックするだけで30万とかありえない情報が沢山あるのも確かです。

「本当か?」と疑いながら慎重に人生を決める仕事を探していました。

そして運命の出会いは突然やってきました。

それは僕がネットビジネスにおいて、特に優れた知識もない頃運営していたブログにメールが届きます。

「コンテンツを作ったので、ブログで紹介してもらえませんか?」

この一通のメールが人生を変えたといっても過言ではありません。

現在の師匠にあたる人との出会いです。

この出会いから、僕の意識は完全にネットビジネスに向きました。

これで生活を安定させる!

と決意します。

その人はこよなく自由を愛していますが、ちょっと自由に対してのこだわりが強くて…

『威張らない、なめられないように生きる』

が自由だ!と言ってる変わった人です(すいませんw)が月収350万を超える超人でもあります。

ネットビジネスってやはり夢がありますよね。

とにかく、僕はこの師匠との出会いで新しい世界を見ることができています。

この出会いから僕はネットビジネスの知識を高め、お金の稼ぎ方や時間の作り方、心のゆとりを作る事に成功しました。

そもそも転売のやり方でお金稼げるなんて知らなかったので驚きました…ブックオフは立ち読みする店と定義づけていたので(笑)

僕はネットビジネスとの出会いで・・・

『知る楽しみ』

を学び人生を歩んでいけています。

ネクストレベル

今僕が身体は不自由なところもありますが、こうして楽しく生きていけているのも『向上心』という気持ちを忘れなかった結果だと思っています。

「強い想いはお金を創る」=「幸せ」
「強い想い」=「大切な人を守りたい」

これが僕の出した答えでした。

とはいっても、人によって「オモイの形」はそれぞれ違うと思います。

生活を1段階良いものにしたいというライトなものから、社会に影響を与えるような教育者になりたいといったヘヴィーなものまで、色々オモイは必ずあると思います。

そしてそれを実現するために、次のレベルへ上がろうという気持ちが強ければ強いほど新しい世界が開かれることには間違いないと思います。

最近ではブラック企業で勤めてたり、専業主婦の人が働きに出ることが多い時代です。

もし副業で稼ぐことができるなら、家の中だけで稼ぐことができるなら・・・と願う人は少なくないはずです。

具体的に言ってしまうと、僕としてはインターネットだけでいつでもお金を生み出せる状態を作り、自由を手に入れる人が増えたらいいなと思っています。

僕のそういった考えに賛同してくれる『仲間』がほしいと思っています。

仲間たちに僕の生き方を知ってほしいのです。

そうやって「つながり」を持てれば良いなと考えています。

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